浜松城を隠さないで!

鈴木建也(すずきたつや)

2009年12月26日 21:22

 徳川家康が1570年に築城し17年間にわたり過ごしたと言われる浜松城。若き家康が29~45歳の頃、今川、武田、織田などの戦国武将と戦い、天下統一の夢をつかんだ場所です。その後の城主となった大名が相次いで出世したことから「出世城」とも呼ばれています。1873年に一旦廃城になりますが、1955年に浜松城再建期成同盟会による活動で集まった市民からの800万円の募金と市の予算を加えた総工費1128万円により天守閣が再建されました。そして今回、耐震性に問題があることから木造建築での再建、セントラルパークとしての公園整備の話があるそうです。既に旧浜松市体育館跡を大型観光バスも駐車できるよう駐車場整備も進んでいます。
 
 そして、この写真です。現在の浜松城の全体を見るには、公園内に入り、かなり近くまで行かないと叶いまません。浜松市役所や元城小学校等の建物や街路樹にさえぎられて、国道152号からは垣間見る程度です。浜松城は浜松市発展のシンボルであり、ランドマークです。ヨーロッパの街づくりは教会を中心につくられ、街のどこからでも教会をみることが出来るように設計されています。浜松城もヨーロッパの教会と同じく市民の心の支えであるはずです。
 今回の木造建築での再建は、大工職人⇒木工加工⇒織機・楽器産業・・・へと発展してきたモノづくりのまち浜松の象徴としても、とっても意義があることと思います。そして、街の多くの場所から我々浜松市民の誇りである浜松城が見ることが出来るように、また観光資源の観点からも観光客が見やすいロケーションづくりが必要とされます。是非ともこの観点から、周囲を一体的に整備する検討をしていただけたらと思います。

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