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2010年02月05日

エッセイ「灯台下暗しと温故知新」

「いもづるねっと通信」2010年冬号掲載
※「安全で安心な食と暮らしをもとめて」をテーマにした季刊誌です。お問合せは、國分幸さん0538-49-0959まで。

エッセイ「灯台下暗しと温故知新」

 皆さん、こんにちは、ひかり農園の鈴木宣仁の弟の建也です。昨年、地元のラジオ局を退職し個人事務所を開業しました。「興味あることを何でもやろう!」の精神でひかり農園の手伝いをしているご縁で寄稿させていただきます。ところで宣仁(のぶひと)、も読めないですが、私も読めないですよね。建也(たつや)です。農家の次男坊、獅子座のB型(兄も同じ?!)、人間は単純ですので、お会いした際は気軽に声をかけてください!
 という訳で、私の自宅は国道1号線近くにあり、ひかり農園に隣接してあります。居住して13年、その間も兄たちはせっせと農業をして多くの野菜づくりをしていたわけですが、まったく何をいつ栽培して収穫しているかは、まったくと言っていいほど知りませんでした。農家の次男坊ですので、なんとなく葉っぱの形でというのはありますが、すべての名前を言えるわけではありません。ましてや品種や栽培方法、収穫時期などはまったく分かりません。そして、その野菜が安心、安全で美味しく、栽培・収穫の喜びを与えてくれる。先祖代々受け継がれてきた土地を、兄夫婦、おばさん、ひかり農園のスタッフの皆さん、今は認知症の母親も大切に守り受け継いできたことを知りました。まさに、灯台下暗し!!感謝、感謝ですが、これからも少しでもその一員として、次代に受け継いでいく手伝いができればと思っています。とても幸せを感じています。ほっともしています。皆さん、これからもよろしくお願いします。いろいろと教えてください。

 私の趣味はマラソンで走歴10年です。ほぼ毎日、自宅から遠州浜、佐鳴湖、浜名湖までを往復して走ります。そこで目にするのは身近にある自然の豊かさであり、その変貌と人間のエゴです。特にここ数年で遠州浜は侵食が進み浜辺が狭まり、波消しブロック、風力発電が出現したことで風景が一変しました。いろいろと考えさせられながら走っています。
 地元のラジオ局や市民音楽祭「やらまいかミュージックフェスティバル」を通じて(実行委員長をやってます)、浜松は市民が実感できる本当の音楽の街か?を問いかけ、音楽を楽しむ場づくりをしてきましたが、120年以上にもおよぶ浜松の楽器産業史があり、この人や技術、製品、工場・・・が世界の音楽シーンを築きあげてきたことを知りました。かつて楽器メーカーは約50社、関連企業は200社以上あったと言われていて、日本人の誰もが浜松産の楽器を購入し、音楽教育を受けてきました。また、戦中、楽器工場は軍需工場になり、大都市に次ぐ多くの空爆を受けた都市にもなってしまいました。
 同じく、私たちが住む篠原町の歴史は飛鳥時代にまでさかのぼり、江戸時代からの日本の大動脈・東海道に面し、明治時代に農地開拓が始まり、その時期から特産の玉ねぎが栽培されてきました。かつては、鰻の養殖場、楽器工場、織屋さんも沢山ありました。鈴木姓は町内の33.4%、宣仁宅の属する自治会の権現組48軒中39軒が鈴木姓で、日本一の鈴木姓密集地を維持しています。時は過去から日々脈々と流れてきて、現在、そして未来へとつながります。歴史を知ることで未来が見えてきます。まさに、温故知新!!私たちのこれからを考えるときに忘れてはならないことだと思っています。

 浜松、篠原にいても新しい情報や目先の流行は、目まぐるしい速さと津波のような圧倒的な強さで襲ってきます。実は私はその世界に25年以上関ってきました。そして、周りのことは何でも知りたがるが、自分のことは一番分かっていない人間になりました。メディアというバーチャルな世界から農業という超リアリティのある世界へ。ひかり農園はリハビリを始めるよい機会となっています。足元をしっかりと見つめ、歴史、文化、風土による必然性を知ることで、明日の私たちの生き方、生かされ方を知ります。自然と人間のなせる豊かな毎日を実感しながら、楽しく、気楽にやっていきたいと思っています。


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Posted by 鈴木建也(すずきたつや) at 21:40│Comments(0)エッセイ・寄稿
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